個人的な「断尾」に対する考え方
 あくまでも私個人の想いですので、こんな人間もいるということで御参考にして下さい。長文ではありますが、読んでいただけたら幸いです。
例として
スプリンガー
断尾の基本
 私は個人的には断尾しない犬の方が自然で可愛いと思っておりますが、それは抽象論であり、それは犬の断尾の本質ではありません。
 そして、尾は犬にとって感情表現、バランス維持にも重要不可欠な部分ですが、尾がなくても走ることも泳ぐことも出来て一般生活でなんの支障もないと反論する心なき人間も多数いますし、その反論は実際のところ表面的にはその通りですので、ここではこれも抽象論としてしか扱わざるを得ません。
 
 ここでは、ごく簡単にスプリンガーの断尾に関してだけの報告です。

 スプリンガーの断尾がたとえ百歩譲って猟でイバラの多い道を通る時に尾を傷つけない為としましょう。
 現在の日本で猟の為にスプリンガーを飼う人が一体何人いるでしょうか?日本の猟環境はイバラのような危ない草木に囲まれているのでしょうか?そして、本当に断尾されたスプリンガーを実際必要とする猟師が一体何人いるのでしょうか?
 また、尾を自分で噛みついて傷つけるのを防ぐ為というのは、あまりにも犬にストレスを与えて監理を怠っている証拠です。

 生後2〜10日の断尾では、子犬は断尾の痛さを味わうことはないというのは、生後どれだけ早い時期でも、十分な中枢神経を持っており、逆に痛覚抑制神経が未発達なことは科学的に立証されているのに、多くのブリーダーならびに犬を飼う人々の「子犬は全然痛がらない」というのは「迷信」以外の何物でもありません。その上、通常子犬は麻酔に対しての抵抗力がまだない為に麻酔なしの荒療治行為手術が行われます。ただ、子犬は痛さを表現する力がまだ余りにも弱いだけであります。

 あと、統計を取った訳ではありませんが、尾のあるスプリンガーが傷ついて病院行きになった事例より、圧倒的にスプリンガーの尾の損傷を防止する為に下手な断尾外科手術をして傷口から雑菌等が入り込み、とんでもない炎症を引き起こし、結局尾を切らざるをえないという事例の方が圧倒的に多いということは確信を持って言えます。

以前より  私は個人的に以前より断尾された犬を見ていて、何か不自然な違和感を感じ、また地雷を踏んで足を無くしたカンボジアの子供の姿を見るような痛々しさを感じていました。
 そしてこの行為はダーウィンの進化論を冒涜しているような気さえしていました。
ブリーダーへ質問  いざ私がスプリンガーを飼うことを決意して10以上の名の知れたブリーダーに連絡してみると、全部のブリーダーに断られれました。
 私はその都度にスプリンガーのブリーダーさん達に「何故スプリンガーは断尾するのですか?」という質問をぶつけてきました。
 しかし、帰ってきた答えというのは、みんな三者三様でバラバラであり、何かこじつけのような気がしてきました。
勉強  そこで私は日本の書物やホームページの情報、特にスプリンガーの情報はあまりにも薄いので、世界中のホームページを駆けめぐり、スプリンガーの、もしくは犬全般の断尾について調べに調べました。
 欧米で「断尾」に関するホームページは多く非常に情報量が豊富で、勉強になりましたが、私の結論は「断尾」は「少なくともスプリンガーが現在の日本の環境で飼われるにあたり、まったく意味をなさない行為」であると感じました。
しかし  しかし、最期にあたってみたブリーダーでは「断尾はスタンダードに対するブリーダーの良心だ」と言われて、私は何かすごく心を傷つけられたのを覚えています。
 何をもって「断尾はスタンダードに対するブリーダーの良心だ」と言えるのでしょうか?
 ここで私の個人的ではありますが、犬と人間の関わりに関しての考え方を紹介したいと思います。
犬の歴史  人間は犬を何千年、何万年の歴史の中で、様々な形で共存し、利用してきました。
 狩猟、食用としての犬、番犬、家畜の監理、害生物の駆除、ガード犬、荷物の運搬、災害救助犬、盲導犬、警察での麻薬発見、犯人の追跡・攻撃、行方不明者の捜索、珍しい犬は成金趣味の人間のステータスとして、ブリーダーには生活手段として、そして何よりもコンパニオン・アニマルとして。
 数え上げればキリがありません。

 だけど何かお気づきではありませんか?これらすべては人間のエゴです。
 たとえ、保健所の犬や捨て犬や病気の犬を救済することも裏を返せば、人間のエゴです。不幸な犬を救済することにより、救済しない自分を見逃せない人間のエゴでもあり、不幸な犬を救済したいという人間のエゴなんですから。しかし、これは人間の汚いエゴが作り出した膿を前向きに除去する人間のエゴですので、喜ばしい人間のエゴです。

 しかし、結局、犬にとりまして、犬を人間が飼うという行為自体が人間のエゴ以外の何物でもないのです。

人間の性  人間というものは太古の昔より、何かを犠牲にしていかないと生きていけない悲しい生き物です。
 牛も豚もニワトリも魚も、そして国によっては犬も猫も食べます。
 知能が高いからとかいう理由で、動物の人間が食べていい境目を作ることは命というものへの冒涜であり、偽善以外の何物でもありません。
 この問題は私はベジタリアンだからと言って、逃げることは出来ません。
 植物も自然の恵みなら動物も自然の恵み、自然界の恩恵を犠牲にせずに生きている人間は世界中どこにも存在せず、人間というものは太古の昔より、何かを犠牲にしていかないと生きていけない悲しい生き物です。

 これは人間の性(さが)です。これを認識せず否定することは己が人間として生きることを否定し冒涜する行為だと言えると思います。

提言  しかし、人間の悲しい性に甘えているだけで前へ進まない人間も最低です。
 今の日本、世界の状況は犬が本当に野生の動物として自然で生きることは特に都市部では不可能に近いぐらい難しく、犬と人間は、これから二人三脚でお互いのより良き共存の道を模索していかなければならないことを余儀なくされています。

 地球のまわりを太陽が回っているなんて言っている時代の誤った常識をいつまでも継承する必要性を感じますか?
 私は人間のエゴと人間の性を認識しつつ、自然の恩恵に感謝する気持ちが一番大事だと思います。

 人間はありがたいことに高度な理性を制御できる生物。
 人間が生きていく上で欠かせない恩恵に対して、簡単なことからでも出来ることを実行するべきではないでしょうか?

エゴの一つ  もし、この断尾行為が外観的ファッション性だけのものだとしても、人間のエゴを満たす意味では、ある種の人間にとっては生きていく上で必要なことかも知れません。これも人間の性の延長線。
 しかし、犬という素晴らしい生き物の恩恵を感じるなら、少しでも、これから人間と犬がよりよく共存していきたいと思うなら、そんな自分のエゴの一つも取り去ってあげることも簡単なことじゃないかと思っています。
犬を愛する  断尾・断耳した犬しか可愛いと思えず、愛せないという湾曲した人は、もしかしたらいるかも知れません。愛されない犬ほど可愛そうなものはいませんので、ある種、愛されない犬を作らない為にも、これは仕方ないことかも知れません。
 だけど、本当に断尾・断耳した犬しか愛せないと思いますか?
他国の文化  巷の動物愛護団体は韓国の犬食文化を強く非難しております。
 確かに私を含めて犬を愛するものにとって、目の前で犬が食用に屠殺されるのを見たくないのが本音です。悪しき文化は排除せねばなりません。
 しかし、これは一部の馬鹿な欧米人の繰り出す鯨問題同様、人間の性を認識していなく、他国の文化に土足で踏みいる行為と思っています。
 アフガニスタン同様、その国の人々の問題ですので、その国の一般の人々が救いの手を求めてはじめてするべき行為で、偽善以外の何物でもありません。
 アメリカのように他国が逆らうことが出来ないからとつけあがって、間違った部分までも自分たちの常識を世界の常識だと押しつけてはいけません。
 文化というものは、よその国の人間がどうこうするべきではなく、他国の文化を取り入れるにせよ自国の人間の欲求によって成り立たなければなりません。
 私はたとえ欧米の圧力とはいえ、鯨をほとんど食べなくなった日本人の理性を少なくとも誇りに思います。
 動物愛護団体は他国の文化を否定することは、日本が戦時中、台湾や韓国に日本語を強要したことと大局的には同じぐらいのことと思えるぐらいの気持ちで他国の文化に入っていかなければならないと思います。
日本人として  また、戦後より日本は「欧米ではこうしているから」なんて考えばかりで、欧米の猿まねばかりを繰り返し発展してきましたが、犬も日本で飼う以上、自分たちの文化、理性、良心に従った飼い方をするべきで、いくらスプリンガーがよその国の原産の犬であろうが、非常識な文化まで取り入れる必要はまったくなく、その本質に今の日本において意味をなさない行為は、イギリスやアメリカやヨーロッパがどうであろうが、日本に住む国民としてのプライド(誇り)と良心で排除すべきだと思っております。
 日本の文化は猟犬として使っていた秋田犬や柴犬を断尾したでしょうか?また、その必要性があったでしょうか?
スタンダード  純血種のブリーディングの本質が、固有種の優秀な血の保存なら、断尾はあくまでも後天的偽善行為。
 「スタンダード」というものがすべての邪魔をして、消費者の考え如何に関係なく断尾された犬が消費者の手元に届くシステムが出来上がっています。
 私個人はこのシステムに非常に心を痛められてしまいました。
犬の位置  「犬は犬以上でもなく犬以下でもない」
 聞く人によっては冷たい言い方かも知れませんが、私個人は、そのように認識することで、日本人にありがちな犬を擬人化した過ちからくる間違いを防ぎ、犬という動物の本質を深く理解することによって、犬が犬であることを最大限尊重出来ることだと考えております。
 これは私の持論ですが、これが人と犬がよりよくつき合っていく為に一番重要なことでもあると信じて疑わないところであります。
私個人  私はただ、私個人として、これもエゴ以外の何物でもありませんが、犬が犬であることを尊重してつき合いたかったので、より犬が犬として自然な形の状態としてつき合いたかったので、「断尾」を受け入れることが出来ませんでしたが、「スタンダード」なるものと、薄い知識で何も考えずチョキチョキ断尾して良心とまで言い切るブリーダーたちに深く心を傷つけられてしまいました。
断尾の意味  犬を食べるのも犬をどうこうするのも人間の自由で性かも知れません。
 しかし、「断尾」だけは、人間の性が反映されていない意味なき行為ということだけはここで明言しておきたいと思います。
 こんなことを言うのも私個人の人間のエゴですが、私個人は犬という素晴らしき自然界の恩恵に対する感謝を忘れたくないですし、その恩恵に対して感謝する意味でも、今の日本で意味のない「断尾」という行為を、この日本でしてもらいたくないというのが一番の本音です。
日々の感謝  私個人も日々、大好きな焼き肉を食べる都度に、牛に対して祈りや感謝を感じて食べているワケでもありません。実は海外の街々でラマダンあけのイスラム国で何百頭もの牛が神に捧げる捧物として、食用として殺されていくのを見てきましたが、牛が可愛そうだとか残酷だとか思いませんでした。しかし、感謝はしました。
 美しく切り分けられ包装されたスーパーの肉しか知らないほとんどの日本人に、牛の断末魔の悲痛な声を聞かせてあげたいです。
 私たちの生活というのは、自然の恩恵なしでは一日たりとも生活出来ないことを認識して感謝することが一番大事だと思います。
 私たちは共に暮らし愛する犬たちから日々自分たちが思う以上に多大なる恩恵を授かっていることを忘れるべきではありません。
 そして、現在の地球に生きるほとんどの犬は生きるも死ぬも生まれるのも人間という動物によって鍵が握られています。生命の運命如何のすべてのすべてを支配し、人によって左右してしまうのはおこがましい行為とは思いませんか?
 一人一人の命に対する責任感が問われます。
未来  出来るだけ近い未来にスプリンガーのみならず現在断尾される犬種のすべてがショースタンダードから「断尾」項目がなくなって、断尾されなくなり、「あんな馬鹿なことをしていた時代もあったね」とすべての人が言えるようになれたらいいですね。
 かなりというか、すさまじく厳しい見解かも知れませんが、以前どこかの男が自分の犬の足を故意に切り落とし、同情を得た人々から金銭をせしめていた事件がありましたが、人間のエゴの観点から見ると、「断尾」もブリーダーが尾を切り落とした犬を売って金銭を得ることも、ある意味、どちらも犬の身体を切り落として金銭を得る行為ですから、同じぐらいの観点で日本人がこの行為を見つめることが出来る日を待ち望みます。
\(^_^)/  ところで、あなたはよくここまで、読んでくれましたね。
 私はあなたに感謝しますね。\(^_^)/
 それと断尾に関しまして色々メールで御相談にのっていただいた方々にも感謝いたします。

「ペット・ポートレート」
20人以上の画家在籍の肖像画作成、彫金迷子札、オリジナル首輪、ステッカー等。続々と新商品が登場予定。新規開店のペットのオーダーメイド商品とサービスの専門店。